喫茶去〜まずはお茶をじっくり飲んでみる
禅の言葉に「喫茶去」(きっさこ)という言葉がある。 「お茶をじっくり集中して飲みなさい」という意味合いだけれども、これがなかなかに奥が深い。 表面上の意味だけでは真髄が分からないと思う(僕も完全に理解をしているとは言えない)。 「お茶を飲む」という言葉はいろいろな意味がある。 休憩する、気のおけない仲間とコミュニケーションを取る、意識を切り替える。 考えただけでも3つ意味が出てきた。 それぞれお茶を飲むことの意味であり、どれも正解だ。 もう一つ、「直心是道場」(じきしんこれどうじょう)と言う禅語がある。 「直心」とは自分のありのままの心を指していて、これこそが修行をする道場であると言う意味合い(ですよね?)。 ここで「喫茶去」と合わせて考えてみる。 「お茶を飲む」と言う行為にはざっくり考えただけでも3つ意味があった。 「休憩する」「仲間とのコミュニケーション」「意識の切り替え」 それぞれの行為に「直心」で向かい合った時、それは「道場」になる。 「お茶を飲む」事を取ればありのままの心でお茶を集中して頂く。 普段なら「さっきこんな事があったな」「午前中、失敗してしまったけど午後からリカバリーしよう」「Sさんがこんな事を言っていた」などなどが思い浮かびながらお茶を飲む。 しかし、「道場」として考えると「集中してお茶に専念し飲む」事も大事だろう。 ただ「お茶」を「飲む」。 アンビエントに身を任せて集中してお茶を飲む。 案外こう言うのも大事ではないかと思う。 ニュアンス的には「チルアウト」に近いだろうか? 「喫茶去」と「直心是道場」。 この二つが合わさるとフォーカスとハッピーの両方が得られると僕は思う。